SALOMON 川越様に聞く『人とブランドを繋ぐ力』
インタビュー
2026.03.10
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1947年、フランス・アルプスの麓で誕生したサロモン。山と向き合い、自然と共に生きる人々のために生まれたこのブランドは、「フィールドで本当に信頼できるものをつくる」という揺るぎない哲学のもと、マウンテンスポーツの世界で確かな存在感を築いてきました。
その革新性はプロダクトだけにとどまりません。どれほど優れた製品であっても、その価値は“人”を通して初めてお客様に届くもの。革新的なプロダクト開発はもちろん、その価値を“人の手”を通して伝えるリテールの現場もまた、サロモンの歴史を支え続けてきた重要なフィールドです。
今回は、そんなサロモンのリテールマネージャーとして全国の店舗を統括する川越様に、お話を伺いました。これまで数多くの現場と人に向き合いながら、川越様は何を感じ、どんな経験を積み重ねてきたのか。その歩みと言葉から、リテールの仕事に向き合うヒントを紐解いていきます。
その革新性はプロダクトだけにとどまりません。どれほど優れた製品であっても、その価値は“人”を通して初めてお客様に届くもの。革新的なプロダクト開発はもちろん、その価値を“人の手”を通して伝えるリテールの現場もまた、サロモンの歴史を支え続けてきた重要なフィールドです。
今回は、そんなサロモンのリテールマネージャーとして全国の店舗を統括する川越様に、お話を伺いました。これまで数多くの現場と人に向き合いながら、川越様は何を感じ、どんな経験を積み重ねてきたのか。その歩みと言葉から、リテールの仕事に向き合うヒントを紐解いていきます。
アパレルに出会うまで
● 野球に打ち込んだ少年時代
正直に言うと、子どもの頃の夢ってあまり覚えていないんです。「将来はこれになる!」と強く思い描いていたわけでもないですし、服に特別な興味があったわけでもありません。
そんな私が初めて本気になったのが、野球でした。2歳上の兄の影響でグラウンドに立ち、小学4年生からは少年団へ。そこからは完全に野球中心の生活です。ポジションがキャッチャーだったので、自然とチーム全体を見る役割になりました。誰がどんな調子か、どう動けば勝てるか。常に周囲を見ながら考えていましたね。
当時は無意識でしたが、
「一人では勝てない」
「役割を全うしてこそチームは強くなる」
この感覚は、今の仕事の原点になっています。
● ファッションの入り口
中学までは、本気で野球に打ち込んでいて、大会では優勝も経験しました。でも、高校では野球を続けなかったんです。理由は単純で…、モテたかったんですよね(笑)。
当時の野球部って、丸刈りが当たり前!
でも、高校生になるなら少しは格好つけたいじゃないですか。
そこからは一気にファッションにのめり込みました。サーフブランド、キレイめ、古着ブーム。みんなが木村拓哉さんに影響を受けて真似をしていた時代です。トレンドの服を買うために、夏休みには兄と一緒に引っ越しのアルバイトをしてお金を貯めましたよ。
今振り返ると、あの頃は個性というよりトレンドを追う時代。
それでも、「どう見られたいか」を考える時間は純粋に楽しかったんです。
この“自分を表現する楽しさ”が、ファッションの入り口だったのだと思います。
● 家族とは違う道へ
父も祖父も医師。母も医療の現場に携わるなど、家族は医療の世界にいる人ばかり。
そんな中で育ったこともあり、自然とその道が見える環境でしたが、私の関心はビジネスや海外に向いていましたね。決して反発ではなくって、「自分の可能性を試してみたい!」という気持ちがあったんです。
大学2年生まではサークル中心の学生生活で、とてもやんちゃな時代を過ごしてました。
ただ、3年生になったタイミングで、仲の良い友人が2人も休学し、留学へ行くことになったんです。もともと海外に興味があったこともあり、自分も休学し海外に行ってみたいと親に相談しましたが、急な話だったこともあり、当時は叶いませんでした。
ただ、友人たちが新しい世界に向けて飛び出していく姿を間近で見たことで、留学や海外への挑戦という選択肢が、一気に自分の中で現実味を帯びたんです。
「これから何に挑戦しよう」と、真剣に進路と向き合い始めた瞬間でした。
● 就活中のアルバイトで出会った、アパレルの面白さ
世間は就職氷河期の終盤。就職活動では書類選考も含めて30社近く受けましたが、なかなかご縁にはつながりませんでした。手応えを探しながら、自分はどこで力を発揮したいのかを考える日々だったと思います。
そんな中で、少しずつ存在感を増していったのが、大学時代に続けていたアパレルでのアルバイトでした。そこで出会った先輩たちは、本当に格好よかった。いわゆる“カリスマ店員”と呼ばれる人たちが活躍していた時代です。
商品を売るのではなく、「自分の言葉でブランドを語る」。目の前のお客様と真剣に向き合い、その人に似合う一着を提案する。その姿を見て、人の力で商品の価値が何倍にもなる瞬間を知りました。
「この仕事、面白いな」。
その実感が、リテール業界を志す大きなきっかけになりました。
正直に言うと、子どもの頃の夢ってあまり覚えていないんです。「将来はこれになる!」と強く思い描いていたわけでもないですし、服に特別な興味があったわけでもありません。
そんな私が初めて本気になったのが、野球でした。2歳上の兄の影響でグラウンドに立ち、小学4年生からは少年団へ。そこからは完全に野球中心の生活です。ポジションがキャッチャーだったので、自然とチーム全体を見る役割になりました。誰がどんな調子か、どう動けば勝てるか。常に周囲を見ながら考えていましたね。
当時は無意識でしたが、
「一人では勝てない」
「役割を全うしてこそチームは強くなる」
この感覚は、今の仕事の原点になっています。
● ファッションの入り口
中学までは、本気で野球に打ち込んでいて、大会では優勝も経験しました。でも、高校では野球を続けなかったんです。理由は単純で…、モテたかったんですよね(笑)。
当時の野球部って、丸刈りが当たり前!
でも、高校生になるなら少しは格好つけたいじゃないですか。
そこからは一気にファッションにのめり込みました。サーフブランド、キレイめ、古着ブーム。みんなが木村拓哉さんに影響を受けて真似をしていた時代です。トレンドの服を買うために、夏休みには兄と一緒に引っ越しのアルバイトをしてお金を貯めましたよ。
今振り返ると、あの頃は個性というよりトレンドを追う時代。
それでも、「どう見られたいか」を考える時間は純粋に楽しかったんです。
この“自分を表現する楽しさ”が、ファッションの入り口だったのだと思います。
● 家族とは違う道へ
父も祖父も医師。母も医療の現場に携わるなど、家族は医療の世界にいる人ばかり。
そんな中で育ったこともあり、自然とその道が見える環境でしたが、私の関心はビジネスや海外に向いていましたね。決して反発ではなくって、「自分の可能性を試してみたい!」という気持ちがあったんです。
大学2年生まではサークル中心の学生生活で、とてもやんちゃな時代を過ごしてました。
ただ、3年生になったタイミングで、仲の良い友人が2人も休学し、留学へ行くことになったんです。もともと海外に興味があったこともあり、自分も休学し海外に行ってみたいと親に相談しましたが、急な話だったこともあり、当時は叶いませんでした。
ただ、友人たちが新しい世界に向けて飛び出していく姿を間近で見たことで、留学や海外への挑戦という選択肢が、一気に自分の中で現実味を帯びたんです。
「これから何に挑戦しよう」と、真剣に進路と向き合い始めた瞬間でした。
● 就活中のアルバイトで出会った、アパレルの面白さ
世間は就職氷河期の終盤。就職活動では書類選考も含めて30社近く受けましたが、なかなかご縁にはつながりませんでした。手応えを探しながら、自分はどこで力を発揮したいのかを考える日々だったと思います。
そんな中で、少しずつ存在感を増していったのが、大学時代に続けていたアパレルでのアルバイトでした。そこで出会った先輩たちは、本当に格好よかった。いわゆる“カリスマ店員”と呼ばれる人たちが活躍していた時代です。
商品を売るのではなく、「自分の言葉でブランドを語る」。目の前のお客様と真剣に向き合い、その人に似合う一着を提案する。その姿を見て、人の力で商品の価値が何倍にもなる瞬間を知りました。
「この仕事、面白いな」。
その実感が、リテール業界を志す大きなきっかけになりました。

遠回りして得たもの
● 最初の職場で身につけた、社会人の基礎
2003年、新卒で入社したのがイトキン株式会社でした。総合職採用で、配属は営業。最初の3か月は、物流倉庫や店舗研修からのスタートでした。現場の空気を肌で感じながら、商品がどう動き、どう売れ、人がどう働いているのかを徹底的に学ばせてもらいましたね。
研修が終わると、本部所属として10店舗以上を担当することに。入社間もない自分が、経験豊富な店長たちと向き合う立場になるわけですから、正直不安もありました。
でも、いざ現場に入ってみると、関係性は上下というより「現場を良くする仲間」。どう伝えれば想いが届くのか。どうすれば売場が変わるのか。毎日必死に考えていましたね。
朝から晩までアパレルのことばかり。でも、それが本当に楽しかった。
あの頃に身につけた現場のスピード感や、情報をいち早くつかむ感覚は、今も自分の仕事のベースになっています。
● 留学という選択
イトキンで3年半勤務した後、私はアメリカ・シアトルへの留学を決意します。
きっかけは、大学時代の仲間との再会。彼らはパナソニックやソニーといった大企業で活躍していて、久しぶりに集まったとき、自分の中に眠っていた「海外で挑戦したい!」という気持ちが再燃した事を覚えています。
もともと海外や語学への興味はずっと心のどこかにありました。でも、“いつか”と思っているだけでは何も変わらない。そんなときに友人から言われたのが、「行かない後悔は残る。でも、行った後悔はないよ」という言葉。
年齢的にも、挑戦するなら早いほうがいい。退職金もあるし、多少の貯金もある。“今なら動ける”。そう思えたタイミングだったんです。
25歳での再スタート。決して最短ルートではなかったかもしれません。でも、あの遠回りがあったからこそ、視野は確実に広がりましたし、「自分はまだまだ挑戦できる」と思えるようになりました。あの決断は、間違いなく自分のキャリアのターニングポイントだったと思います。
● 留学で身についたもの
アメリカでの生活は、本当に楽しかったですね。もちろん、最初は英語も十分に話せないし、授業ではプレゼンテーションばかり。初めてのことばかりでしたが、全部ひっくるめて、挑戦そのものが楽しかったんです。
現地では大学のコミュニティだけでなく、さまざまな国から来た仲間たちと時間を過ごしました。価値観も文化も違う人たちと向き合う毎日。そこで気づいたのは、「国籍や年齢で人を判断することに意味はない」ということでした。
今、仕事で海外の方と関わる機会もありますが、「外国の方だから」と身構えることはありません。互いの違いを個性だと面白がれるようになった。多様な価値観を自然に受け入れられるようになったことは、英語力以上に大きな財産だと思っています。
また、留学中は現地のアパレル会社でインターンシップも経験しました。ラスベガスの展示会に出展するプロジェクトに携わり、生地選びからものづくりまで参加。英語環境の中で、チームの一員として仕事をやり切った経験は、大きな自信になりました。語学以上に、「どこでもやっていける」という感覚を手に入れられたこと。それが留学で身についた一番のものかもしれません。
● 人生を変えた出会い
そして、留学で得たものがもう一つ…!
今の妻との出会いです。
世界中から集まった仲間たちの中で出会い、価値観や将来の話を重ねるうちに、自然と距離が縮まっていきました。振り返ると、留学どうだった?と聞かれたとき、真っ先に思い浮かぶのは「妻と出会えたこと」かもしれません(笑)。
語学も、キャリアも大事。でも、それ以上に人生を豊かにしてくれる出会いがあった。あの留学は、自分のキャリアだけでなく、人生そのものの方向を変えた時間だったと思います。
● 回り道がくれた、視野の広がり
1年半の留学を終えて日本に戻り、まず就職したのはイタリアブランドを扱う小さな代理店でした。そこで経験したのが、ディストリビューターという立場。海外ブランドを日本に輸入し、販売店や独占代理店と連携しながらビジネスを組み立てていく仕事です。
メーカーとも小売とも違う、中間に立つポジション。モノがどう流れ、どう市場に広がっていくのかを実務で学びました。その後は子ども服の企業にも在籍し、2社合わせて約2年。今振り返ると、短期間でしたが視野は確実に広がりましたね。
ただ、正直に言うと、留学から帰ってきてすぐに動き続けていたので、少し疲れもありました。「次はもう少し落ち着いた環境で働きたい」——そう思って入社したのが、ツヴィリング・JA・ヘンケルスです。
当時は2〜3年頑張るくらいの気持ちで入社しましたが、結果的に在籍は14年(笑)!
“腰を据えてみよう”と選んだ決断が、その後のキャリアを大きく形づくることになります。
2003年、新卒で入社したのがイトキン株式会社でした。総合職採用で、配属は営業。最初の3か月は、物流倉庫や店舗研修からのスタートでした。現場の空気を肌で感じながら、商品がどう動き、どう売れ、人がどう働いているのかを徹底的に学ばせてもらいましたね。
研修が終わると、本部所属として10店舗以上を担当することに。入社間もない自分が、経験豊富な店長たちと向き合う立場になるわけですから、正直不安もありました。
でも、いざ現場に入ってみると、関係性は上下というより「現場を良くする仲間」。どう伝えれば想いが届くのか。どうすれば売場が変わるのか。毎日必死に考えていましたね。
朝から晩までアパレルのことばかり。でも、それが本当に楽しかった。
あの頃に身につけた現場のスピード感や、情報をいち早くつかむ感覚は、今も自分の仕事のベースになっています。
● 留学という選択
イトキンで3年半勤務した後、私はアメリカ・シアトルへの留学を決意します。
きっかけは、大学時代の仲間との再会。彼らはパナソニックやソニーといった大企業で活躍していて、久しぶりに集まったとき、自分の中に眠っていた「海外で挑戦したい!」という気持ちが再燃した事を覚えています。
もともと海外や語学への興味はずっと心のどこかにありました。でも、“いつか”と思っているだけでは何も変わらない。そんなときに友人から言われたのが、「行かない後悔は残る。でも、行った後悔はないよ」という言葉。
年齢的にも、挑戦するなら早いほうがいい。退職金もあるし、多少の貯金もある。“今なら動ける”。そう思えたタイミングだったんです。
25歳での再スタート。決して最短ルートではなかったかもしれません。でも、あの遠回りがあったからこそ、視野は確実に広がりましたし、「自分はまだまだ挑戦できる」と思えるようになりました。あの決断は、間違いなく自分のキャリアのターニングポイントだったと思います。
● 留学で身についたもの
アメリカでの生活は、本当に楽しかったですね。もちろん、最初は英語も十分に話せないし、授業ではプレゼンテーションばかり。初めてのことばかりでしたが、全部ひっくるめて、挑戦そのものが楽しかったんです。
現地では大学のコミュニティだけでなく、さまざまな国から来た仲間たちと時間を過ごしました。価値観も文化も違う人たちと向き合う毎日。そこで気づいたのは、「国籍や年齢で人を判断することに意味はない」ということでした。
今、仕事で海外の方と関わる機会もありますが、「外国の方だから」と身構えることはありません。互いの違いを個性だと面白がれるようになった。多様な価値観を自然に受け入れられるようになったことは、英語力以上に大きな財産だと思っています。
また、留学中は現地のアパレル会社でインターンシップも経験しました。ラスベガスの展示会に出展するプロジェクトに携わり、生地選びからものづくりまで参加。英語環境の中で、チームの一員として仕事をやり切った経験は、大きな自信になりました。語学以上に、「どこでもやっていける」という感覚を手に入れられたこと。それが留学で身についた一番のものかもしれません。
● 人生を変えた出会い
そして、留学で得たものがもう一つ…!
今の妻との出会いです。
世界中から集まった仲間たちの中で出会い、価値観や将来の話を重ねるうちに、自然と距離が縮まっていきました。振り返ると、留学どうだった?と聞かれたとき、真っ先に思い浮かぶのは「妻と出会えたこと」かもしれません(笑)。
語学も、キャリアも大事。でも、それ以上に人生を豊かにしてくれる出会いがあった。あの留学は、自分のキャリアだけでなく、人生そのものの方向を変えた時間だったと思います。
● 回り道がくれた、視野の広がり
1年半の留学を終えて日本に戻り、まず就職したのはイタリアブランドを扱う小さな代理店でした。そこで経験したのが、ディストリビューターという立場。海外ブランドを日本に輸入し、販売店や独占代理店と連携しながらビジネスを組み立てていく仕事です。
メーカーとも小売とも違う、中間に立つポジション。モノがどう流れ、どう市場に広がっていくのかを実務で学びました。その後は子ども服の企業にも在籍し、2社合わせて約2年。今振り返ると、短期間でしたが視野は確実に広がりましたね。
ただ、正直に言うと、留学から帰ってきてすぐに動き続けていたので、少し疲れもありました。「次はもう少し落ち着いた環境で働きたい」——そう思って入社したのが、ツヴィリング・JA・ヘンケルスです。
当時は2〜3年頑張るくらいの気持ちで入社しましたが、結果的に在籍は14年(笑)!
“腰を据えてみよう”と選んだ決断が、その後のキャリアを大きく形づくることになります。

自分を高める、ステップアップ
● 安定の先に見えたもの
前職のツヴィリング・JA・ヘンケルスには長く在籍し、本当に多くのことを学ばせてもらいました。裁量も大きく、挑戦の機会にも恵まれていた環境です。振り返ると、実務の中で自分の仕事観を磨き、マネジメントの基礎を築いた時間だったと感じています。
ただ、経験を重ねる中で、ある種の“安定”を感じ始めたのも事実です。決して不満があったわけではありません。むしろ充実していました。でも心のどこかで、「もう一度、自分を試してみたい」という気持ちが芽生えていたんです。
完成された環境を守ることも大切ですが、私はどちらかというと、まだ形になっていないものを育てていくほうが好きなタイプ。ゼロからつくる過程にこそ、やりがいを感じます。そんなタイミングで新しいご縁があり、次のフィールドへ進む決断をしました。
スポーツ業界は初挑戦でしたが、安心できる道よりも、成長できる道を選びたい。
その思いが背中を押してくれました。
● 転職の決め手
会社の成長性と、そこにいる人たちのエネルギーが決め手です。
会社がどんな未来を描いているのか。そこにいる人たちがどんな表情で仕事をしているのか。もちろん条件や肩書きも大事ですが、「このチームで挑戦したいと思えるかどうか」が重要だと思うんです。
成長しようとしている組織には、独特の前向きなエネルギーがあるんですよね。なので、その空気の中に身を置けること自体が、自分を引き上げてくれるって感じるんです。
環境は、人をつくる。だからこそ、自分がワクワクできる場所を選んできました。
● スキルは“自分で広げる”もの
成長は、特別な場面で起きるものではないと思っています。
むしろ日々の仕事の中にこそ、その種はある。現場での経験、失敗からの学び、人との関わり。日々の積み重ねは、ちゃんと自分を鍛えてくれます。
ただ、それだけで十分かというと、私はそうは思っていません。仕事で得られる成長が7〜8割だとすれば、残りの1〜2割は自分の意思で取りにいくもの。この“わずかな差”を意識して取り組めるかどうかが、数年後に大きな違いになると感じています。
前職で店舗開発に携わることになった際には、宅建の資格を取得しました。求められる役割が変わるのであれば、自分も変わる必要があると思ったんですよね。
現在は中国語の勉強を続けています。将来、より広いフィールドで仕事をするという可能性を考えたときに、語学は間違いなく武器になると感じますから。
大切なのは、「なんとなく」ではなく、「なぜそれをやるのか」が明確であること。転職に有利だから、周囲がやっているから、という理由だけでは続きません。自分はどんな景色を見たいのか。どんなフィールドで挑戦したいのか。そこがはっきりすると、努力は自然と継続できます。
スキルは与えられるものではなく、自分で広げていくもの。
その意識があるかどうかで、キャリアの伸び方は大きく変わると思っています。
● 目標がある人に、チャンスは集まる
スキルアップを考えるなら、まずは目標を具体的にすること。できれば一つではなく、複数持つことをおすすめします。目標が明確になると、「経験で届く部分」と「自分で補うべき部分」が見えてくるんです。そして何より、周囲もアドバイスしやすくなる。
「こうなりたい」と言葉にできる人には、自然と情報やチャンスが集まってきます。これはこれまで多くの人を見てきて感じることですね。
自分の未来を、自分の言葉で描けるかどうか。
それが、次のステップに進むための大きな鍵だと思っています。
前職のツヴィリング・JA・ヘンケルスには長く在籍し、本当に多くのことを学ばせてもらいました。裁量も大きく、挑戦の機会にも恵まれていた環境です。振り返ると、実務の中で自分の仕事観を磨き、マネジメントの基礎を築いた時間だったと感じています。
ただ、経験を重ねる中で、ある種の“安定”を感じ始めたのも事実です。決して不満があったわけではありません。むしろ充実していました。でも心のどこかで、「もう一度、自分を試してみたい」という気持ちが芽生えていたんです。
完成された環境を守ることも大切ですが、私はどちらかというと、まだ形になっていないものを育てていくほうが好きなタイプ。ゼロからつくる過程にこそ、やりがいを感じます。そんなタイミングで新しいご縁があり、次のフィールドへ進む決断をしました。
スポーツ業界は初挑戦でしたが、安心できる道よりも、成長できる道を選びたい。
その思いが背中を押してくれました。
● 転職の決め手
会社の成長性と、そこにいる人たちのエネルギーが決め手です。
会社がどんな未来を描いているのか。そこにいる人たちがどんな表情で仕事をしているのか。もちろん条件や肩書きも大事ですが、「このチームで挑戦したいと思えるかどうか」が重要だと思うんです。
成長しようとしている組織には、独特の前向きなエネルギーがあるんですよね。なので、その空気の中に身を置けること自体が、自分を引き上げてくれるって感じるんです。
環境は、人をつくる。だからこそ、自分がワクワクできる場所を選んできました。
● スキルは“自分で広げる”もの
成長は、特別な場面で起きるものではないと思っています。
むしろ日々の仕事の中にこそ、その種はある。現場での経験、失敗からの学び、人との関わり。日々の積み重ねは、ちゃんと自分を鍛えてくれます。
ただ、それだけで十分かというと、私はそうは思っていません。仕事で得られる成長が7〜8割だとすれば、残りの1〜2割は自分の意思で取りにいくもの。この“わずかな差”を意識して取り組めるかどうかが、数年後に大きな違いになると感じています。
前職で店舗開発に携わることになった際には、宅建の資格を取得しました。求められる役割が変わるのであれば、自分も変わる必要があると思ったんですよね。
現在は中国語の勉強を続けています。将来、より広いフィールドで仕事をするという可能性を考えたときに、語学は間違いなく武器になると感じますから。
大切なのは、「なんとなく」ではなく、「なぜそれをやるのか」が明確であること。転職に有利だから、周囲がやっているから、という理由だけでは続きません。自分はどんな景色を見たいのか。どんなフィールドで挑戦したいのか。そこがはっきりすると、努力は自然と継続できます。
スキルは与えられるものではなく、自分で広げていくもの。
その意識があるかどうかで、キャリアの伸び方は大きく変わると思っています。
● 目標がある人に、チャンスは集まる
スキルアップを考えるなら、まずは目標を具体的にすること。できれば一つではなく、複数持つことをおすすめします。目標が明確になると、「経験で届く部分」と「自分で補うべき部分」が見えてくるんです。そして何より、周囲もアドバイスしやすくなる。
「こうなりたい」と言葉にできる人には、自然と情報やチャンスが集まってきます。これはこれまで多くの人を見てきて感じることですね。
自分の未来を、自分の言葉で描けるかどうか。
それが、次のステップに進むための大きな鍵だと思っています。

日常の中にあるリフレッシュ
● 目の前の時間を味わう
オンとオフをきっちり分けるってタイプではないと思います。
我が家は娘が3人。上が10歳で、下は2歳の双子。毎日がとにかくにぎやかで、「今日は仕事が休みだからゆっくりしよう」なんて余裕はありません(笑)!
でも、不思議とそれが嫌じゃない。
子どもたちと本気で遊んでいる時間は、自然と気持ちがほぐれます。
特別なリフレッシュというより、目の前の時間をちゃんと味わうこと。
「誰と過ごすか」のほうが、自分にとってはずっと大事なんだと思います。
仕事仲間と登山に行ったり、スノーボードをしたり、みんなで飲みに行ったり。何をするかよりも、同じ時間を共有できることが楽しい。
そういう時間の積み重ねが、結果的に自分を整えてくれています。
● 満たされる時間
アメアスポーツジャパンに入社してから、朝のジョギングを始めました。出勤前に4〜5キロくらい、ゆるっと30分ほど走ります。
走ったあとの、あの感覚が好きなんですよね。頭の中がすっとクリアになって、自然と前向きになれる。考え事があるときほど、走ると整理される気がするんですよね。
それから、料理も好きで、週末は家族に振る舞うことも多いです。クリスマスにはStaub(ストウブ)でチキンを焼くのが私の役目ですし、今年はおせちにも挑戦しました。
家族に「おいしい!」と言ってもらえる瞬間は、やっぱりうれしい。来年はもう少しこうしてみようかな、なんて考えるのも楽しい時間です。
妻とは“子育て”が共通の趣味なので、子どもたちの成長を一緒に感じられる今が、何よりのエネルギー源です。家族との時間が満たされているからこそ、仕事にもまっすぐ向き合える。
最近は、そんな実感が強くなっています。
オンとオフをきっちり分けるってタイプではないと思います。
我が家は娘が3人。上が10歳で、下は2歳の双子。毎日がとにかくにぎやかで、「今日は仕事が休みだからゆっくりしよう」なんて余裕はありません(笑)!
でも、不思議とそれが嫌じゃない。
子どもたちと本気で遊んでいる時間は、自然と気持ちがほぐれます。
特別なリフレッシュというより、目の前の時間をちゃんと味わうこと。
「誰と過ごすか」のほうが、自分にとってはずっと大事なんだと思います。
仕事仲間と登山に行ったり、スノーボードをしたり、みんなで飲みに行ったり。何をするかよりも、同じ時間を共有できることが楽しい。
そういう時間の積み重ねが、結果的に自分を整えてくれています。
● 満たされる時間
アメアスポーツジャパンに入社してから、朝のジョギングを始めました。出勤前に4〜5キロくらい、ゆるっと30分ほど走ります。
走ったあとの、あの感覚が好きなんですよね。頭の中がすっとクリアになって、自然と前向きになれる。考え事があるときほど、走ると整理される気がするんですよね。
それから、料理も好きで、週末は家族に振る舞うことも多いです。クリスマスにはStaub(ストウブ)でチキンを焼くのが私の役目ですし、今年はおせちにも挑戦しました。
家族に「おいしい!」と言ってもらえる瞬間は、やっぱりうれしい。来年はもう少しこうしてみようかな、なんて考えるのも楽しい時間です。
妻とは“子育て”が共通の趣味なので、子どもたちの成長を一緒に感じられる今が、何よりのエネルギー源です。家族との時間が満たされているからこそ、仕事にもまっすぐ向き合える。
最近は、そんな実感が強くなっています。
この業界で働く方、そしてこれからチャレンジされる方達へ
リテールの仕事は、これからますます重要になっていくと思います。
各ブランドがどんな想いでモノづくりをしているのか、それをどうお客様に届けて、どう期待に応えていくのか。その最前線って、やっぱりリテールの現場なんですよね。
単にお店を運営するという話ではなくて、『ブランドとしてどう存在し続けるか』というビジネスそのものに深く関わっていく仕事なんです。
もちろん大変なことも多いし、人も時間も手もかかる。簡単な仕事ではありません。
でもその分、やりがいも大きいく、人として成長できる業界だと感じています。
だからこそ、この業界をもっと楽しく、もっと魅力的な場所にしていきたいんですよね。
ひとりでできることには限界がありますが、同じ想いを持った仲間が増えれば、業界全体は必ず面白くなりますから。
今まさにこの業界で頑張っている方も、これからチャレンジしようとしている方も、ぜひ一緒に盛り上げていけたら嬉しいです。
------------------------------------------------
PROFILE
川越 康文
1980年埼玉県出身。
大学卒業後、イトキン株式会社に入社し約3年半勤務。その後、ツヴィリングJ.A.ヘンケルスジャパン株式会社など外資系企業での経験を経て、現在はアメアスポーツジャパン株式会社にてサロモンのリテールビジネスのマネジメントを担う。
趣味はゴルフ、ジョギング、料理。家族や友人との時間を大切にし、スポーツやアウトドアを通じたライフスタイルにも関心が高い。
各ブランドがどんな想いでモノづくりをしているのか、それをどうお客様に届けて、どう期待に応えていくのか。その最前線って、やっぱりリテールの現場なんですよね。
単にお店を運営するという話ではなくて、『ブランドとしてどう存在し続けるか』というビジネスそのものに深く関わっていく仕事なんです。
もちろん大変なことも多いし、人も時間も手もかかる。簡単な仕事ではありません。
でもその分、やりがいも大きいく、人として成長できる業界だと感じています。
だからこそ、この業界をもっと楽しく、もっと魅力的な場所にしていきたいんですよね。
ひとりでできることには限界がありますが、同じ想いを持った仲間が増えれば、業界全体は必ず面白くなりますから。
今まさにこの業界で頑張っている方も、これからチャレンジしようとしている方も、ぜひ一緒に盛り上げていけたら嬉しいです。
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PROFILE
川越 康文
1980年埼玉県出身。
大学卒業後、イトキン株式会社に入社し約3年半勤務。その後、ツヴィリングJ.A.ヘンケルスジャパン株式会社など外資系企業での経験を経て、現在はアメアスポーツジャパン株式会社にてサロモンのリテールビジネスのマネジメントを担う。
趣味はゴルフ、ジョギング、料理。家族や友人との時間を大切にし、スポーツやアウトドアを通じたライフスタイルにも関心が高い。

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