Lee 西村 弘史さんに聞く『未来をつくる、現場力』
インタビュー
2025.09.12
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1899年、アメリカ・カンザス州で誕生したLee(リー)は、現場で働く人々のためのワークウェアをルーツに持ち、実用性と丈夫さを兼ね備えた製品づくりで信頼を築いてきました。100年を超える歴史の中で、作業着としての実用性を超えて、今では世界中の人々に愛されるファッションブランドとしての地位を確立しています。
ブランド躍進の転機となったのは、1950年代。伝説的な俳優ジェームズ・ディーンが、映画やプライベートでLeeのジーンズを愛用したことで、若者たちの間で一躍注目を集め、ワークウェアの枠を超えたグローバルブランドへと成長しました。
そんな歴史と誇りを受け継ぎ、現在、国内におけるLeeの販売店舗を支えているのが西村弘史さん。
アパレル業界で豊富なキャリアを重ね、現在は全国の店舗を統括しています。営業戦略や人材育成にも幅広く携わり、接客・販売を熟知するプロフェッショナルとしてブランドの変遷を間近で見つめ、多くの人とジーンズを繋いできました。
本記事では、急速に変化するアパレル業界において、多様化する販売職の役割やスキルに触れつつ、西村さんの経験を元に「アパレルで働く意義」や「現場で働くことの面白さ」について伺いました。
ブランド躍進の転機となったのは、1950年代。伝説的な俳優ジェームズ・ディーンが、映画やプライベートでLeeのジーンズを愛用したことで、若者たちの間で一躍注目を集め、ワークウェアの枠を超えたグローバルブランドへと成長しました。
そんな歴史と誇りを受け継ぎ、現在、国内におけるLeeの販売店舗を支えているのが西村弘史さん。
アパレル業界で豊富なキャリアを重ね、現在は全国の店舗を統括しています。営業戦略や人材育成にも幅広く携わり、接客・販売を熟知するプロフェッショナルとしてブランドの変遷を間近で見つめ、多くの人とジーンズを繋いできました。
本記事では、急速に変化するアパレル業界において、多様化する販売職の役割やスキルに触れつつ、西村さんの経験を元に「アパレルで働く意義」や「現場で働くことの面白さ」について伺いました。
自分を作った、寄り道キャリア
●境界線の外側
世界中を飛び回るような仕事がしたい。そんな想いが芽生え始めたのは15歳くらいの頃だったと思います。テレビで見た、インドのガンジス川やエジプトのピラミッド。そのスケールの違いや、人々の暮らし、文化のギャップに衝撃を受けました。濁った川の中で体を洗ったり、洗濯をしたりする姿を見て、「自分の当たり前は、必ずしも世の中の当たり前じゃない。」と気づいたんです。そういった価値観の違いを、自分の目と足で確かめてみたい──そんな想いがずっと心の中にあり、専門学校卒業後は旅行業界に飛び込みました。
新卒で入社した旅行会社では、添乗員として日本全国をまわる日々。いつか世界を見に行きたいという気持ちがあったので、「チャンスは必ず巡ってくるはずだ!」と信じて、苦労しながらも資格も取ってスタンバイしていました。けれど、実際に任されたのは富士登山や尾瀬のハイキングツアーなど、国内を巡るコースばかり。富士山なんて、1年間で8回も登りましたから(笑)。
仕事はかなり過酷で、朝は始発集合してツアー開始の2時間前には現地入り。夜はお客様全員が宿泊先の部屋に入るまでが仕事なので、睡眠は3時間あればいい方でした。「何かを掴みたい」と思って本気で向き合っていましたが、休みも月に2日程度と体力的にも厳しくて。結局1年間走り切って、次のステップに進む決断をしたんです。
●肩書きよりも、自分の気持ちに正直に
旅行会社を辞めたあと、次に選んだのは飲食業界。業種にはまったくこだわりがなくて、「接客」を軸に人と関われる仕事をしようと、とりあえずアルバイトとして飛び込んだのがラーメン屋でした。
与えられた仕事を真面目にこなし、ある程度の仕事を任せてもらえるようになったある日、「店長やってみないか?」と声をかけてもらったんです。自分の仕事が認めてもらえて、すごく嬉しかったですね。でも、同時に「ラーメンは作るよりも食べるほうが好きだ!」って思ってしまったんですよ(笑)。当時、20代半ばだった私は「この先も、ずっとここでやっていくのかな…?」と、勤務先の天井を見ながら自分の未来を想像しました。きっと、全国を飛び回っていた添乗員時代の感覚が残っていて、「もっと広いフィールドで勝負したい」という気持ちがあったのだと思います。
そこで、次に目指したのは全国規模で展開していて、自分の可能性をもっと広げられるフィールド。そんな環境を探すなかで出会ったのが、ジーンズブランド「EDWIN」や「Lee」の店舗運営を担う、グループ会社のイー・ジーニング株式会社でした。
●現場のすべてを経験してきた15年
イー・ジーニング株式会社に入社したのは1999年。EDWINのアルバイトとしてスタートして、入社3ヶ月目で社員に昇格。その1年後、店長になったんです。アウトレット店舗で15年間、現場の最前線に立ち続けてきました。
今振り返ると、この15年こそが“現場力”を徹底的に鍛えられた期間だったのだと思います。接客はもちろん、売り場づくり、スタッフ育成、数字管理まで。あの時の経験が今の自分の土台となっています。
アウトレットに訪れるお客様は年齢も目的もさまざまで、そのぶん柔軟な対応力が常に求められる環境でした。マニュアル通りにはいかないことばかり。でもだからこそ、「このお客様にご満足いただくには、何が必要か?」を、試行錯誤しながら毎日考え続ける事ができたのだと思います。
●異業種で学んだ“接客の引き出し”
15年間にわたり現場の最前線で走り切ったのち、「そろそろ次のステージへ」と思い、いったん会社を離れました。ところが、その決断から間もなく「戻ってきてほしい」と声をかけて頂き、本社勤務としてイー・ジーニング株式会社へ復帰することに。復帰後は、アウトレット部門のスーパーバイザーとして、全国の現場をサポートし進化させるミッションを任されました。
働く場所や役割が変わっても、ずっと大切にしてきたのは“現場感覚”を貫くこと。
私の場合、アパレル以外の仕事で積んできた経験が自分の軸になっています。
旅行会社ではキャビンアテンダント研修を通して一流のおもてなしを学び、ラーメン店ではお酒が入ったクセのあるお客様とのやりとりのおかげで、臨機応変な対応力が磨かれました(笑)。どちらも接客業という意味では共通していて、そこで得た経験は、自分の中の“引き出し”を確実に増やしてくれたと感じています。
人との向き合い方って、業界が違っても本質は同じ。旅行でもラーメンでも、アパレルでも、ヒューマンスキルはすべての基本ですから!
つまり、接客の本質って「人と誠実に向き合う力」にあるということなんですよね。
世界中を飛び回るような仕事がしたい。そんな想いが芽生え始めたのは15歳くらいの頃だったと思います。テレビで見た、インドのガンジス川やエジプトのピラミッド。そのスケールの違いや、人々の暮らし、文化のギャップに衝撃を受けました。濁った川の中で体を洗ったり、洗濯をしたりする姿を見て、「自分の当たり前は、必ずしも世の中の当たり前じゃない。」と気づいたんです。そういった価値観の違いを、自分の目と足で確かめてみたい──そんな想いがずっと心の中にあり、専門学校卒業後は旅行業界に飛び込みました。
新卒で入社した旅行会社では、添乗員として日本全国をまわる日々。いつか世界を見に行きたいという気持ちがあったので、「チャンスは必ず巡ってくるはずだ!」と信じて、苦労しながらも資格も取ってスタンバイしていました。けれど、実際に任されたのは富士登山や尾瀬のハイキングツアーなど、国内を巡るコースばかり。富士山なんて、1年間で8回も登りましたから(笑)。
仕事はかなり過酷で、朝は始発集合してツアー開始の2時間前には現地入り。夜はお客様全員が宿泊先の部屋に入るまでが仕事なので、睡眠は3時間あればいい方でした。「何かを掴みたい」と思って本気で向き合っていましたが、休みも月に2日程度と体力的にも厳しくて。結局1年間走り切って、次のステップに進む決断をしたんです。
●肩書きよりも、自分の気持ちに正直に
旅行会社を辞めたあと、次に選んだのは飲食業界。業種にはまったくこだわりがなくて、「接客」を軸に人と関われる仕事をしようと、とりあえずアルバイトとして飛び込んだのがラーメン屋でした。
与えられた仕事を真面目にこなし、ある程度の仕事を任せてもらえるようになったある日、「店長やってみないか?」と声をかけてもらったんです。自分の仕事が認めてもらえて、すごく嬉しかったですね。でも、同時に「ラーメンは作るよりも食べるほうが好きだ!」って思ってしまったんですよ(笑)。当時、20代半ばだった私は「この先も、ずっとここでやっていくのかな…?」と、勤務先の天井を見ながら自分の未来を想像しました。きっと、全国を飛び回っていた添乗員時代の感覚が残っていて、「もっと広いフィールドで勝負したい」という気持ちがあったのだと思います。
そこで、次に目指したのは全国規模で展開していて、自分の可能性をもっと広げられるフィールド。そんな環境を探すなかで出会ったのが、ジーンズブランド「EDWIN」や「Lee」の店舗運営を担う、グループ会社のイー・ジーニング株式会社でした。
●現場のすべてを経験してきた15年
イー・ジーニング株式会社に入社したのは1999年。EDWINのアルバイトとしてスタートして、入社3ヶ月目で社員に昇格。その1年後、店長になったんです。アウトレット店舗で15年間、現場の最前線に立ち続けてきました。
今振り返ると、この15年こそが“現場力”を徹底的に鍛えられた期間だったのだと思います。接客はもちろん、売り場づくり、スタッフ育成、数字管理まで。あの時の経験が今の自分の土台となっています。
アウトレットに訪れるお客様は年齢も目的もさまざまで、そのぶん柔軟な対応力が常に求められる環境でした。マニュアル通りにはいかないことばかり。でもだからこそ、「このお客様にご満足いただくには、何が必要か?」を、試行錯誤しながら毎日考え続ける事ができたのだと思います。
●異業種で学んだ“接客の引き出し”
15年間にわたり現場の最前線で走り切ったのち、「そろそろ次のステージへ」と思い、いったん会社を離れました。ところが、その決断から間もなく「戻ってきてほしい」と声をかけて頂き、本社勤務としてイー・ジーニング株式会社へ復帰することに。復帰後は、アウトレット部門のスーパーバイザーとして、全国の現場をサポートし進化させるミッションを任されました。
働く場所や役割が変わっても、ずっと大切にしてきたのは“現場感覚”を貫くこと。
私の場合、アパレル以外の仕事で積んできた経験が自分の軸になっています。
旅行会社ではキャビンアテンダント研修を通して一流のおもてなしを学び、ラーメン店ではお酒が入ったクセのあるお客様とのやりとりのおかげで、臨機応変な対応力が磨かれました(笑)。どちらも接客業という意味では共通していて、そこで得た経験は、自分の中の“引き出し”を確実に増やしてくれたと感じています。
人との向き合い方って、業界が違っても本質は同じ。旅行でもラーメンでも、アパレルでも、ヒューマンスキルはすべての基本ですから!
つまり、接客の本質って「人と誠実に向き合う力」にあるということなんですよね。

現場に学ぶ、リーダーシップと人間力
●リーダーは“受け入れられる”のではなく、“受け入れる”存在
チームづくりで大切にしてきた事は、チームらしさよりも「バランス」です。というのも、リーダーが変われば、チームの空気感も進め方も自然に変わっていくものですから。私がリーダーのときは、私なりの判断や進め方でチームを動かせばいいし、他の人がリーダーになったら、その人のやり方でチームがまとまるのが一番いい形なんだと思っています。
無理に、チームらしさや正解の形を決めるよりも、その時々のリーダーに合わせて、柔軟に変化できる事の方が、実は強いチームなんじゃないかな。
でも、どんな形のチームにも欠かせないのは、リーダーシップ。「リーダーは受け入れられる存在じゃなく、周りを受け入れる存在であるべき」ということです。
「あの人がリーダーじゃ仕方ない…」なんて言葉が出るチームは、すでに“何か”を諦めてしまってますよね。それが一体何なのか、リーダー自身が気づけるかどうかが大事なんです。
人は、「理解されていない」と感じたときに居心地の悪さを感じます。だからこそ、リーダーは自分の価値観を押しつけるのではなく、目の前の一人ひとりをちゃんと受け入れて、その人をちゃんと活かす事が使命だと思います。
●「店長、怖すぎましたよ。」のひと言が教えてくれた
厳しさと、怖さは違う──。
当たり前のようで、当時の私にはその境界が見えていませんでした。
当時の私は、「甘えは許さない」「妥協は一切しない」を信条に、とにかく全力で現場に向き合っていたんですよね。間違っていると思えば、妥協せずに伝える。でもその伝え方は、無意識のうちに“威圧”になっていたみたいです。
ある日、かつての部下がふらっと店舗に顔を出してくれたんです。久しぶりに会って、「元気にしてた?今の職場はどう?」なんて昔話も交えながら色んな話をしていた時。ふと、笑いながらこんなことを言われたんです。
「店長、怖すぎましたよ(笑)。もうどこに行っても余裕っす!」
一緒に笑いながらも、その言葉が妙に胸に残ったんです。
冗談のように言ってくれたけど、「これが本音なんだな」と。一緒にいた時間の中で、あの子は怖さを我慢してついてきてくれていたのかもしれない。そう思ったとき、ズシンと響いたんですよね。
――ああ、厳しさは必要だったけど、怖がらせる必要は全くなかったんだなって。
それからは「怒らない努力」を始めました。伝えるべきことは、感情だけにまかせずちゃんと伝える。怒鳴らず、否定せず、どうすれば伝わるかを真剣に考えるようになったんです。
嫌われる覚悟も大事。でも、私は“好かれながら信頼される存在”を目指したい。否定よりも承認。押しつけよりも対話。最初はぎこちなくて、うまくいかないことも多かったけれど、相手の表情が少しずつ変わっていくのを見て、自分が本当に目指すべき「人との関わり方」を学びました。
●コミュニケーション = 気づく力
コミュニケーションって、言葉の巧さじゃない。大切なのは、「どれだけ相手を見ているか」「どれだけ気づけるか」だと思うんです。些細な変化に目を留められる人こそ、本当に信頼される人。現場で人と向き合い続けてきたからこそ、“気づく力”こそがリーダーシップや人間力の根っこだと実感しています。
例えば、髪型が先週と違うとか、靴や洋服の雰囲気がいつもと違うとか。そういうところから、その人の気分や状態がふと見えてくる。言葉を交わす前に、もう関係は始まってるんですよね。
気づく力を“自分のため”じゃなく、“相手のため”に使えるかどうか。
それができる人に、自然と人は惹きつけられるし、信頼を寄せていくんだと思います。
チームづくりで大切にしてきた事は、チームらしさよりも「バランス」です。というのも、リーダーが変われば、チームの空気感も進め方も自然に変わっていくものですから。私がリーダーのときは、私なりの判断や進め方でチームを動かせばいいし、他の人がリーダーになったら、その人のやり方でチームがまとまるのが一番いい形なんだと思っています。
無理に、チームらしさや正解の形を決めるよりも、その時々のリーダーに合わせて、柔軟に変化できる事の方が、実は強いチームなんじゃないかな。
でも、どんな形のチームにも欠かせないのは、リーダーシップ。「リーダーは受け入れられる存在じゃなく、周りを受け入れる存在であるべき」ということです。
「あの人がリーダーじゃ仕方ない…」なんて言葉が出るチームは、すでに“何か”を諦めてしまってますよね。それが一体何なのか、リーダー自身が気づけるかどうかが大事なんです。
人は、「理解されていない」と感じたときに居心地の悪さを感じます。だからこそ、リーダーは自分の価値観を押しつけるのではなく、目の前の一人ひとりをちゃんと受け入れて、その人をちゃんと活かす事が使命だと思います。
●「店長、怖すぎましたよ。」のひと言が教えてくれた
厳しさと、怖さは違う──。
当たり前のようで、当時の私にはその境界が見えていませんでした。
当時の私は、「甘えは許さない」「妥協は一切しない」を信条に、とにかく全力で現場に向き合っていたんですよね。間違っていると思えば、妥協せずに伝える。でもその伝え方は、無意識のうちに“威圧”になっていたみたいです。
ある日、かつての部下がふらっと店舗に顔を出してくれたんです。久しぶりに会って、「元気にしてた?今の職場はどう?」なんて昔話も交えながら色んな話をしていた時。ふと、笑いながらこんなことを言われたんです。
「店長、怖すぎましたよ(笑)。もうどこに行っても余裕っす!」
一緒に笑いながらも、その言葉が妙に胸に残ったんです。
冗談のように言ってくれたけど、「これが本音なんだな」と。一緒にいた時間の中で、あの子は怖さを我慢してついてきてくれていたのかもしれない。そう思ったとき、ズシンと響いたんですよね。
――ああ、厳しさは必要だったけど、怖がらせる必要は全くなかったんだなって。
それからは「怒らない努力」を始めました。伝えるべきことは、感情だけにまかせずちゃんと伝える。怒鳴らず、否定せず、どうすれば伝わるかを真剣に考えるようになったんです。
嫌われる覚悟も大事。でも、私は“好かれながら信頼される存在”を目指したい。否定よりも承認。押しつけよりも対話。最初はぎこちなくて、うまくいかないことも多かったけれど、相手の表情が少しずつ変わっていくのを見て、自分が本当に目指すべき「人との関わり方」を学びました。
●コミュニケーション = 気づく力
コミュニケーションって、言葉の巧さじゃない。大切なのは、「どれだけ相手を見ているか」「どれだけ気づけるか」だと思うんです。些細な変化に目を留められる人こそ、本当に信頼される人。現場で人と向き合い続けてきたからこそ、“気づく力”こそがリーダーシップや人間力の根っこだと実感しています。
例えば、髪型が先週と違うとか、靴や洋服の雰囲気がいつもと違うとか。そういうところから、その人の気分や状態がふと見えてくる。言葉を交わす前に、もう関係は始まってるんですよね。
気づく力を“自分のため”じゃなく、“相手のため”に使えるかどうか。
それができる人に、自然と人は惹きつけられるし、信頼を寄せていくんだと思います。

人を想い、未来を築く現場から
● 繋ぐ力が、未来をつくる
私が長年所属してきたアウトレットのチームは、他ブランドと比較しても圧倒的に低い離職率でした。その一因は、年齢も経験も異なるメンバーたちが、それぞれ「次世代に繋いでいきたい」という想いを持ちながら働いてくれたからだと思います。20代前半から50代までのスタッフが、お互いの強みを認め合い、尊重し合う。そんな現場には、不思議な力強さがありましたね。
「明日は今日より良くしたい」「必ず未来へつなぎたい」――そんな強い前向きな想いが現場の空気を満たし、僕自身も励まされ続けてきました。
これからも、仲間達が働く場所が“ただ物を売るだけの場所”にならないようにしたい。一人ひとりの成長を支え、可能性を信じて寄り添える“居場所”であり続けたい。これからも変わらず、そう強く願っています。
● はじまりは、なんとなく
アパレルの現場には、「なんとなく」働いてみようかなと入ってくるスタッフが少なからずいます。例えば、家が近いからとか、服のテイストがなんとなく好きだからとか…、理由はそれぞれ。でも、私はそうした偶然の出会いも大切に受け止めたいと向き合ってきました。
目指すは、「社会人としての考え方」や「仕事を通じた自己成長と貢献の在り方」をスタッフと一緒に考える環境。ただ単に、洋服の知識だけを教える場ではありません。一人ひとりが、社会の中で自分らしく活躍できる人になっていけるように、学びの環境を丁寧に整えてきました。
私自身も、かつての上司に指導された事で、集中して仕事と向き合えるようになったんです。すごく厳しい方でしたけど、あの人はいつも真剣だったから、自分も自然と本気になれました。
身につけたスキルはいつか自分の武器になる。
今度はそれを、私が伝えていく番だと思っているんです。
●“淘汰の時代”を生き抜くために
「いずれ、ジーンズメーカーは1社しか残らないかもしれない」──業界の恩師が口にしていた言葉が、業界の未来を考えるきっかけになりました。でも、想像してみてください。ジーンズメーカーが1つだけになったら、面白みのない世界になってしまうでしょう?どんなに好きなブランドでも、競争や多様性がなければ新しさは生まれない。だからこそ、接客においてはブランドを深く愛しながらも、そこだけに留まらず、人として輝けるプロフェッショナルになってほしいと思うんです。
実は、この考えに深く共鳴してくれたのが、当時はまだ現場で活躍していたスタッフブリッジの杉浦さん(現・執行役員)でした。10年以上前に私から少し厳しい指摘をしたことがあったのですが、気まずさを感じさせない素早い対応と、スタッフからの信頼を集める姿に一目置くようになりました。
後に常務取締役の北村さんや経営陣とも関わる中で、杉浦さんの姿勢が個人の資質だけでなく、スタッフブリッジ全体の社風であることを実感したんです。「販売員の未来=業界の未来」と本気で向き合い、教育や評価制度にも真摯に取り組む彼らの姿に、私は業界の枠を超えて共に未来を語れる仲間だと感じています。
淘汰の時代を生き抜くために必要なのは、創意工夫を忘れず、人と真摯に向き合い続ける力。だから今こそ、「接客の本質」を丁寧に伝え、次世代を育てていきたいと強く思うんですよね。
私が長年所属してきたアウトレットのチームは、他ブランドと比較しても圧倒的に低い離職率でした。その一因は、年齢も経験も異なるメンバーたちが、それぞれ「次世代に繋いでいきたい」という想いを持ちながら働いてくれたからだと思います。20代前半から50代までのスタッフが、お互いの強みを認め合い、尊重し合う。そんな現場には、不思議な力強さがありましたね。
「明日は今日より良くしたい」「必ず未来へつなぎたい」――そんな強い前向きな想いが現場の空気を満たし、僕自身も励まされ続けてきました。
これからも、仲間達が働く場所が“ただ物を売るだけの場所”にならないようにしたい。一人ひとりの成長を支え、可能性を信じて寄り添える“居場所”であり続けたい。これからも変わらず、そう強く願っています。
● はじまりは、なんとなく
アパレルの現場には、「なんとなく」働いてみようかなと入ってくるスタッフが少なからずいます。例えば、家が近いからとか、服のテイストがなんとなく好きだからとか…、理由はそれぞれ。でも、私はそうした偶然の出会いも大切に受け止めたいと向き合ってきました。
目指すは、「社会人としての考え方」や「仕事を通じた自己成長と貢献の在り方」をスタッフと一緒に考える環境。ただ単に、洋服の知識だけを教える場ではありません。一人ひとりが、社会の中で自分らしく活躍できる人になっていけるように、学びの環境を丁寧に整えてきました。
私自身も、かつての上司に指導された事で、集中して仕事と向き合えるようになったんです。すごく厳しい方でしたけど、あの人はいつも真剣だったから、自分も自然と本気になれました。
身につけたスキルはいつか自分の武器になる。
今度はそれを、私が伝えていく番だと思っているんです。
●“淘汰の時代”を生き抜くために
「いずれ、ジーンズメーカーは1社しか残らないかもしれない」──業界の恩師が口にしていた言葉が、業界の未来を考えるきっかけになりました。でも、想像してみてください。ジーンズメーカーが1つだけになったら、面白みのない世界になってしまうでしょう?どんなに好きなブランドでも、競争や多様性がなければ新しさは生まれない。だからこそ、接客においてはブランドを深く愛しながらも、そこだけに留まらず、人として輝けるプロフェッショナルになってほしいと思うんです。
実は、この考えに深く共鳴してくれたのが、当時はまだ現場で活躍していたスタッフブリッジの杉浦さん(現・執行役員)でした。10年以上前に私から少し厳しい指摘をしたことがあったのですが、気まずさを感じさせない素早い対応と、スタッフからの信頼を集める姿に一目置くようになりました。
後に常務取締役の北村さんや経営陣とも関わる中で、杉浦さんの姿勢が個人の資質だけでなく、スタッフブリッジ全体の社風であることを実感したんです。「販売員の未来=業界の未来」と本気で向き合い、教育や評価制度にも真摯に取り組む彼らの姿に、私は業界の枠を超えて共に未来を語れる仲間だと感じています。
淘汰の時代を生き抜くために必要なのは、創意工夫を忘れず、人と真摯に向き合い続ける力。だから今こそ、「接客の本質」を丁寧に伝え、次世代を育てていきたいと強く思うんですよね。

“好き”がつくる、オフの自分
●満たされる時間
今乗っているバイクで7代目になります。この1台には特に思い入れがあって、初めて名前をつけました。娘が「最高の名前だね!」って言ってくれた事もあって、めちゃくちゃ愛着が湧いています。
バイクを乗り換えるたび、それぞれに思い出はありますが、どんなときも共通しているのはバイクに乗っている時間が最高に楽しいということですね。
走っている時に考えるのは、エンジンの音とか、ギアの感覚とか、あとは目の前の景色だけ。調子が悪いときって、音の響きだったり、ギアの伸び方だったり、微妙な違和感が出るんですよね。そういうサインを逃さないように、ただひたすらに楽しみながら走っています。
それに、走り出すと頭の中がすっとクリアになるんですよ。ストレス解消や悩みを整理するために走るんじゃなくて、純粋に楽しむ。余計なことは何も考えない、とても貴重な時間です。
●手をかけるほどに増す、愛着
古くなった靴や時計を、自分の手でよみがえらせる。そんな“リペア”の時間が、今では日常の一部になっています。例えば、履き込んで傷んだレザーの靴にミンクオイルを塗って艶を出し、靴墨で色を整え、最後に紐を交換して仕上げる。丁寧に手をかけたあとの、あの「生き返った」ような表情を見るのがたまらなく好きなんです。時計も同じで、分解してパーツを磨いて組み直していくと、輝きを取り戻していく。丁寧に磨いていると、モノだけじゃなく、自分の内側も少しずつ整っていく気がするんですよね。
リペアって、修理や補修をしてただ元に戻すだけじゃない。これからも大事に使い続けるための“未来をつくる”行為なんです。趣味や気分転換としてやっているってよりは、生活の中に自然に溶け込んで当たり前に続けてきたって感覚です。
今乗っているバイクで7代目になります。この1台には特に思い入れがあって、初めて名前をつけました。娘が「最高の名前だね!」って言ってくれた事もあって、めちゃくちゃ愛着が湧いています。
バイクを乗り換えるたび、それぞれに思い出はありますが、どんなときも共通しているのはバイクに乗っている時間が最高に楽しいということですね。
走っている時に考えるのは、エンジンの音とか、ギアの感覚とか、あとは目の前の景色だけ。調子が悪いときって、音の響きだったり、ギアの伸び方だったり、微妙な違和感が出るんですよね。そういうサインを逃さないように、ただひたすらに楽しみながら走っています。
それに、走り出すと頭の中がすっとクリアになるんですよ。ストレス解消や悩みを整理するために走るんじゃなくて、純粋に楽しむ。余計なことは何も考えない、とても貴重な時間です。
●手をかけるほどに増す、愛着
古くなった靴や時計を、自分の手でよみがえらせる。そんな“リペア”の時間が、今では日常の一部になっています。例えば、履き込んで傷んだレザーの靴にミンクオイルを塗って艶を出し、靴墨で色を整え、最後に紐を交換して仕上げる。丁寧に手をかけたあとの、あの「生き返った」ような表情を見るのがたまらなく好きなんです。時計も同じで、分解してパーツを磨いて組み直していくと、輝きを取り戻していく。丁寧に磨いていると、モノだけじゃなく、自分の内側も少しずつ整っていく気がするんですよね。
リペアって、修理や補修をしてただ元に戻すだけじゃない。これからも大事に使い続けるための“未来をつくる”行為なんです。趣味や気分転換としてやっているってよりは、生活の中に自然に溶け込んで当たり前に続けてきたって感覚です。
この業界で働く方、そしてこれからチャレンジされる方達へ
アパレル業界、そして接客業で身につけたスキルには、あなたの人生を豊かにする価値があります。きっと、この仕事を長く続けてきた人は、最終的に色んな業界から重宝される人材になると思うんです。なぜなら、「人と接する力」こそ、どんな仕事でも通用しますから。接客は、人の心に触れる仕事です。つまり、どんな時代でも絶対に必要とされるんです。
この業界で身につくのは、洋服の知識や販売スキルだけではありません。日々お客様と接するなかで、自然と「相手を思いやる力」が磨かれていきます。例えば、Uber Eatsを頼んだ時に親切で丁寧な配達員さんに出会うと、つい「ありがとう」と口に出ますよね。逆に、無愛想な対応をされると、同じ料理でもなんだか美味しく感じられなかったりする。そうした小さな“気配り”が、お客様との信頼関係や満足度を大きく左右する——それがこの仕事の奥深さであり、接客業の醍醐味なんだと思います。
お給料をもらいながら、人としてのスキルや心の豊かさまで育まれる。そんな仕事、そう多くはありません!だからこそ、この業界で働く人には、自分の仕事にもっと自信を持ってほしい。毎日が学びの連続かもしれませんが、その努力は必ず、自分の人生をより良い方向へと導いてくれるはずです。
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PROFILE
西村 弘史
1974年 大阪府出身。
1995年に専門学校を卒業後、旅行業界へ。
その後、1999年にアルバイトとしてエドウインアウトレット 南港ATCで勤務スタート。
店長・SVを経て、2020年にアウトレット事業の責任者として着任。
現在は、Lee直営店舗運営管理に従事。
趣味は釣りとバイク。苦手なものは昆虫。
この業界で身につくのは、洋服の知識や販売スキルだけではありません。日々お客様と接するなかで、自然と「相手を思いやる力」が磨かれていきます。例えば、Uber Eatsを頼んだ時に親切で丁寧な配達員さんに出会うと、つい「ありがとう」と口に出ますよね。逆に、無愛想な対応をされると、同じ料理でもなんだか美味しく感じられなかったりする。そうした小さな“気配り”が、お客様との信頼関係や満足度を大きく左右する——それがこの仕事の奥深さであり、接客業の醍醐味なんだと思います。
お給料をもらいながら、人としてのスキルや心の豊かさまで育まれる。そんな仕事、そう多くはありません!だからこそ、この業界で働く人には、自分の仕事にもっと自信を持ってほしい。毎日が学びの連続かもしれませんが、その努力は必ず、自分の人生をより良い方向へと導いてくれるはずです。
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PROFILE
西村 弘史
1974年 大阪府出身。
1995年に専門学校を卒業後、旅行業界へ。
その後、1999年にアルバイトとしてエドウインアウトレット 南港ATCで勤務スタート。
店長・SVを経て、2020年にアウトレット事業の責任者として着任。
現在は、Lee直営店舗運営管理に従事。
趣味は釣りとバイク。苦手なものは昆虫。

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